前回の記事から間が空いてしまいました。
 バタバタしていて申し訳ございません。
 前回は『公認日本語教師』を巡るお話をしました。その内容を受け、『公認日本語教師』を目指そう!と題し、暫く記事をつづけたい(つづくかなぁ・笑)と思います。

 さて、前回は『類型化』という言葉を上げました。そこらへん、これからいろいろと決めていくのでしょうが、どんなことになっていくかを考えたいと思います。
 まず、文科省(文化庁)は教育的なことを言うでしょう。まぁ、考えられるとしたら「留学生を相手にする日本語教師と就労者を相手にする日本語教師では求められるスキルが違うから、そこらへんはっきりさせてから…云々。」ってところでしょうか。
 はい。
 至極ごもっともだと思います。
 けど、『法務省告示校(日本語学校)』は、あくまでも『法務省』の『告示校』ですので、法務省が何等かのことを言うのは間違いないと、ミミ―は思っています。
 そこで、今回は法務省の動きを振り返って考えてみたいと思います。
 ただ、マスター・ミミ―という豚おやじの経験と印象が中心となりますので、ご関心のある方は、図書館などで当時の新聞の縮小版か何かをご覧ください。


◆昭和
 まずは、昭和の略年表。

1970年 私費留学生統一試験創設
1972年 国際交流基金設置/日中国交正常化
1981年 入管法改正(~82)
1983年 留学生10万人計画策定(1993年以降の少子化対策)
       留学生のアルバイト解禁
1984年 日本語能力試験設立
1986年 日本語教育能力検定試験創設 

 こんな感じで昭和の終わり頃、バブル経済に突入していきます。
 昭和の日本語学校史とでも言いましょうか(笑)。

 昭和世代のミミ―たちが子どものころ見た刑事ドラマに『太陽にほえろ』なんてのがありました。また、同じ俳優さん(石原裕次郎)が出ている『西部警察』なんてドラマもありました。

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 この頃の刑事ドラマ、当然、犯人になる悪役がいたのですが、大抵は暴力団(笑)でした。でもって、その暴力団のフロント企業として『○○商事』だの『○○物産』だのと名乗る会社、ほとんどが貿易会社でした。麻薬の密輸取引なんかが描かれるんですね。それが当時の世相でした。そんな世の中だったんです。今の刑事ドラマで反社会的勢力のフロント企業と言ったらIT企業でしょうか(笑)。
 なもんだから、ドラマで最後の見せ場は〇〇埠頭だのいわゆる船着き場が舞台でした…って、銃撃戦の場所も広いですし。

 1983年に留学生のアルバイトが解禁され、その後のバブル経済が始まると、貧しい国々から外国人出稼ぎ労働者が一気に日本を目指し始めます。この動きを反社会的勢力(暴力団)が見逃すわけがありません。その結果、この頃は暴力団のフロント企業となる『日本語学校』が次々と出来た時代でもありました。
 当時、きちんとしたシステムも法整備もされていない中、書類を出せば認可されるような状況で訳の分からない日本語学校が乱立しました。今でもありますが、認可されても実体がないペーパーカンパニーの日本語学校もありました。莫大な借金をさせて仲介料を取り、偽装留学生(出稼ぎ労働者)を日本へ入国させる、そんな事件が相次ぎ、バブル時代の新聞には、出稼ぎ労働者の厳しい現実が報道されていました。ミミ―が覚えているのは、6畳一間に10人以上の中国人が寝泊まりしている、なんて記事でした。6畳一間でどんな姿勢で眠っているのか図が出ていて、押入れで寝ている人もいたなんて書いてました。
 また、海外のマフィアとも繋がり、コンテナ船のコンテナに出稼ぎ労働者を入れて密入国させ、日本国内で『本物の』学生証と『偽物の』外国人登録証(今の在留カード)を渡しアルバイトさせていたのが摘発されたなんて報道もちょくちょくありました。ここらへんGTO(1) (週刊少年マガジンコミックス)って漫画にもチラッと出てました(笑)。
 まさに、黄金の国、ジパングを目指す外国人留学生。
 ジャパゆきさんなんて言葉も生まれたほどです。

 そのような状況下、1988年上海事件が起こります。
 これは、あまりにずさんな日本語学校の状態に、在留資格の締め付けを実施、その結果、仲介料を払ったにもかかわらずビザが取れない状況に怒り狂った出稼ぎ労働者たちが上海にある日本領事館に押しかけた事件です。
 これを受け、行政側は『(旧文部省)日本語教育施設の運営に関する基準』を発表、また、この頃、日本語教師養成講座 420 時間ルールが提示され、日本語教育振興協会設立、と言った対応が行われました。しかし、その日本語教育振興協会も、悪質な日本語学校の関係者を理事にしていたことが発覚したりで、ブチ切れた(?)法務省が92年、入管法の改正を行いました。
 バブル経済も崩壊し、そこから日本語教師をめぐる長い氷河期が訪れ、『失われた20年』が続いていきます。この『失われた20年』の時代に、ミミ―もこの業界に入ってまいりました。
 このような状態で、法務省が目指してきたのは『日本語学校の浄化』であって、日本語教育については二の次でした。この方針は今も貫かれているのは、その後の日本語学校をめぐる動きを見ても明らかです。


◆21世紀へ
 そんな状況下、日本語教育に対し文化庁が2000年、いわゆる『文化庁シラバス』というのを出しました。これは日本語教師養成講座に関するルールで、それまでの420時間ルールに加えられました。ぶっちゃけ、この『文化庁シラバス』が設けられる前は、420時間あれば何を教えてもいい、みたいな雰囲気だったんでしょう。正直、ミミーも受けた養成講座では「こんなんで日本語教師になれんのかなぁ~」なんて先生もいました。
 けど、この『文化庁シラバス』が曲者でした。行政側は、この『文化庁シラバス』以前の養成講座出身者は日本語教師として認めない!みたいなことを言ってきたんです!
 実はミミ―、丸1年かけて1996年に養成講座を修了し、同じ年に日本語学校に入りました。つまり、ミミーの養成講座修了証では、日本語学校の先生にはなれないということになりました!!
 激しくショックでした!!
 今までの努力は何だったの??

 けど、そんなミミーみたいな可哀想な日本語教師に国家権力は同情してくれて、『5年以上の実務経験』があれば大丈夫、なんて救済措置を出してくれました。それで『移行期間』中に5年以上の実務経験を得て、ミミーは日本語教師を続けられました。日本語学校のスタッフ一同、拍手で喜んでくれ、焼肉までおごってもらいました(笑)!これからもよろしく!って。
 でも、ミミーに喜びなんてありませんでした。ただただ屈辱感、国家権力の政策ひとつで個人の人生なんてこうも踏みにじられるものなのか、と。私の養成講座修了証も、入管から再度提出するよう言われたとき、コピーでいいと言われたのに怒りを込めてマスターをくれてやりました。

 さて、歴史は繰り返す、です。

 留学生10万人計画の達成に焦ったのか、急に、在留資格認可申請の基準が緩くなり(東京)、21世紀初頭、留学ブームが訪れます。しかし、外国人留学生だらけになった日本で外国人による犯罪が目立つようになり、「外国人犯罪撲滅」という言葉が世に流れ、2003年の留学生10万人計画達成と同時に、入管の締め付け(在留資格認定の厳格化)が行われました。
 この頃、潰れた(休眠に入った)日本語学校がたくさんありました。
 そして、その後、暫く、またまた日本語教師就職氷河期に突入したのです。


◆留学ブーム、再び
 2008年、福田内閣の時に出された『留学生30万人計画』を受け、『留学ブーム、再び!』となっていきます。平成不況から脱出できるかと思った矢先、2011年、東日本大震災によって、頓挫し、その留学ブームも遅れてしまいますが、2014年あたりから急激に留学生の数が伸びていき、空前の留学ブームが起こります。
 その結果、暴力団のフロント企業とまでは行かずとも質の悪い日本語学校も乱立し、2017年、再びの締め付けとなりました。これは文化庁というより法務省(入管)の意向でしょう。法務省告示校の日本語教師は、文化庁に届け出た日本語教師養成講座出身者で、且つ、大卒でなければならない、みたいな条件が加わり、さらに新しい法務省告示基準へとつながっていきます。
 この大卒以上、という条件が加わり、それまで学歴不問で日本語教師をやってきた先生たちは窮地に陥りました。涙をのんだ先生方も大勢いらっしゃったと思います。2000年にミミーが経験したことと同じです。
 けど、そんな可哀想な日本語教師たちにまたまた国家権力は同情してくれて、『日本語教育能力検定試験』に合格すれば学歴不問!なんて救済措置を(意図的ではないにせよ)出してくれました。
 はい。
 でも、この試験、難しいですよね?
 けど、行政側の言い分は『5年以上、専門的に日本語教育を行ってきたのなら、日本語教育能力検定試験にも合格するはずだ』という論理です。
 この話、至極ごもっとも!
 でも、たとえ専門的な日本語教育を行ってきた先生でも、博識の部分、いわゆるナンチャラ・メソッド、だの、ナンチャラ・アプローチだの、第二言語習得に関する理論的な話だの日本語教育史だのエトセトラ…エトセトラ…、学ばなければならないことがたくさんあり、勉強しなければなりません。
 現場でクソ忙しい先生たちに、そんなこと勉強する時間があるとでも思ってるのでしょうか?

 国家権力には何を言っても無駄です。
 これで法務省告示校(日本語学校)から追い出された先生が何人もいらっしゃるかと思います。
 ミミーが味わった同じ屈辱感を抱いた方がたくさんいらっしゃったと思います。

 さて、こんな中、『日本語教育推進に関する法律』が施行されました。
 これには『日本語教師の質の確保』が謳われています。
 そう。
 日本語教師の『専門性』を認めた国家資格です。
 また、大卒でなければならない、とはっきり言っています。

 この『公認日本語教師』、始めの段階ではこう↓でした。
 これの p.14 にあるとおりです。
 法務省告示校の日本語教師は、法務省が提示する告示基準を満たしているのだから、公認日本語教師にしよう、って動きでした。
 それがここに来て違う動きを見せそうだ、って話が前回の記事でした。



 ここまで長々とお読みいただきありがとうございます。
 ここまで読んでくださった方ならもうお分かりだと思います。
 今は『生みの苦しみ』なのでしょうが、

 この『公認日本語教師』、半端じゃないと思いますよ!

 長々と書いてきた内容を知っている方なら、行政側の考えそうなことが予想できるかと思います。

 法務省(入管)は「法務省告示校で留学生を扱える日本語学校は公認日本語教師を置け。」なんて言ってくるのではないでしょうか。そして、文科省は、法務省告示校の日本語教師が公認日本語教師になるなら、教育実習どころかもう一度試験を受けろ!なんて言ってくるんじゃないでしょうか。

 前の方で、ミミーが受けた屈辱感のお話しました。
 その救済措置が『5年以上の実務経験』でした。
 そう。
 この基準で日本語教師を続けてきた方が大勢、いらっしゃると思います。
 また、最初にお話したとおり、暴力団のフロント企業だった頃は、アロハシャツを着てサングラスをかけてパンチパーマをかけた『チンピラ』さんが風船ガムを噛みながらみんなの日本語を手に教壇に立てた時代で、「日本人なら誰でも日本語なんぞ教えられる!」という考えが主流でした。
 これらの事情を考えるに、法務省告示校の日本語教師たちに、自動的に専門家としての国家資格を与えるとは思えません。『法務省告示校に勤める日本語教師は、法務省の告示基準をクリアしている先生だから、公認日本語教師として認める』なんてもっともらしく聞こえても、現実は『はぁ????』ってなるほど、日本語教育を専門的に行えない日本語教師ばかりなんです!

 …なんてこと、法務省(入管)は、知ってるんですよね(笑)。
 法務省告示校(日本語学校)の杜撰な管理なんぞ、ちょっとたたけばいくらでも埃が舞い上がることくらい把握してるでしょう。認可申請の際、申請書に書いた日本語教師が実際にその学校で仕事をしているのか、仕事はしていてもただの事務職員を日本語教師として登録申請していて実際には教壇に立っていない、日本語教育の専門的スキルなんて皆無で、ただ大卒・5年以上の実務経験者ということにして登録申請している、そんなことちょっと調べればいくらでも出てきます。
 残念ながら、これが法務省告示校の現状です。
 ベテランの先生なら、いくらでもご存じかと思います。


 もうお分かりかと思います。
 『法務省告示校の日本語教師は告示基準で認められたのだから国家資格を(自動的に)あげるべきだ』なんて考えがどれほど甘い考えであるかを。

 だって、そもそも『公認日本語教師』って、
 日本国が日本語教育の専門家と認めた国家資格
 でしょ(笑)?

 恐らく何らかの条件を出してくる、そこでミミーが想定しているのは前回の記事の『類型化』です。救済措置として『公認日本語教師が置けない日本語学校は…』です。

 なら、どうしたらいいの?

 長々と書いてしまったので、そこらへんのうさぎ団の考えは次回にしたいと思います。




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master mimi