昨日は、日本語教育能力検定試験後のうさぎ団会合でした。
いつものようにお酒を飲みながらで、訳の分からないことを口にして不快な思いもさせてしまったんだろうと反省してますが(苦笑)、そんな中でもしっかり覚えていることがあります。

人生って楽しいか否か。

「人生は楽しい!」って考えている人間にとっては人生とは楽しいものだけど、「人生はつまらない!」って考えている人間にとっては人生はつまらないものでしかない。それは、個人がどう感じるかということであって、議論しても、そのうち「俺はそう思うんだ!」「わたしはそう感じるんだ!」と言い出し、建設的な結果なんぞ出やしない。
そのとおりだと思いますよ。

けど、人生を楽しいともつまらないとも感じているのは自分自身だ。
自分自身が人生を送っているから楽しいだとかつまらないだとか感じることができる。
なら『人生』って何なのか、人生は楽しい、人生はつまらない、って感じたり思っている『人生』とはなんなのか、本当に分かっているのだろうか。
何かの哲学議論じゃないけど、考えてみようってなった(って、ミミーだけ・笑)。

日本語教師って何のために存在するの?

という問い。

日本語教師の仕事は楽しいだとかつまらないだとか、理想の日本語教師とはどんな職業か、そんなことを考える以前に、日本語教師って、なぜ存在するのか。

もちろん、日本語を教えるため。

こんな答えも分かりきっているから、考えない。
考えたいのは、日本語教師そのものの存在。

日本語教師って、どんな存在なのか。
日本語教師って、何が出来るのか。
日本語教師って、日本社会、だけでなく国際社会で何が出来るのか。

何のために存在するのか。

そんなことを考えてみたくなりました。

考えすぎでしょうか?

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