日本語学校の厳格化と日本語教育の質をめぐる現状
最近、日本語学校に対する規制強化について、「現政権や文部科学大臣の方針によるものだ」といった議論を見かけます。しかし、日本語学校に対する厳格化の流れは突然始まったものではありません。
実際には、バブル経済崩壊後から長年にわたり、日本語学校の適正化や教育水準の向上が求められてきました。近年の制度改革は、その延長線上にあるものです。コロナ禍によって一部の施策の実施時期が遅れた結果、現在の政権と時期的に重なって見えている面もあります。
日本語学校は以前より大きく改善している
かつての日本語学校には、在留管理や教育体制に問題を抱える学校が少なくありませんでした。しかし、長年にわたる行政指導や制度整備によって、全体としては大きく改善しています。
もちろん現在でも問題を抱える学校は存在します。しかし、現在の制度改革の焦点は、単に在留管理の問題だけではありません。むしろ重視されているのは、日本語教育そのものの質です。
なぜ教育の質が問題になるのか
この点を理解するためには、日本の英語教育を例に考えると分かりやすいでしょう。
多くの日本人は中学校・高校で6年間英語を学習します。しかし、英語の知識を持っていても、実際に英語で円滑なコミュニケーションができる人は必ずしも多くありません。
同じことは日本語教育にも当てはまります。
日本語能力試験(JLPT)は、日本語の知識や運用能力を測る有効な試験ですが、試験の合格だけで十分なコミュニケーション能力が保証されるわけではありません。特に漢字圏の学習者の場合、比較的短期間で高い級に合格しても、日本社会で求められる対人コミュニケーション能力が十分とは限りません。
つまり、日本語の知識量と、日本語で適切に意思疎通できる能力は必ずしも一致しないのです。
従来型教育の限界
これまで多くの日本語学校では、文法項目を段階的に積み上げる「文型シラバス」が中心でした。
この方法は体系的に日本語を学ぶうえで有効ですが、一方で、実際のコミュニケーション場面で日本語を使う能力の育成が十分でないという指摘も以前からなされてきました。
日本社会が求めているのは、日本語の知識を多く持つ外国人だけではありません。職場や学校、地域社会で円滑にコミュニケーションを行える人材です。
外国人とのトラブルの背景には、文化や制度への理解不足だけでなく、日本語による意思疎通の困難さが存在する場合も少なくありません。そのため、日本語教育には実践的なコミュニケーション能力の育成が求められています。
Can-doへの転換
そこで近年重視されているのが、「Can-do」に基づく教育です。
Can-doとは、「何を知っているか」ではなく、「日本語を使って何ができるか」を重視する考え方です。
例えば、
- 買い物で必要なやり取りができる
- アルバイト先で報告・相談ができる
- 学校で意見交換ができる
- 行政窓口で必要な手続きができる
といった具体的な行動目標を設定し、その達成を目指して学習を進めます。
この考え方自体は決して新しいものではなく、20年以上前から国際的な言語教育の分野で広く用いられてきました。
文科省の認定制度が目指すもの
現在、文部科学省が進めている認定制度では、こうしたCan-doを重視した教育への転換が重要な評価項目となっています。
その目的は、日本語学校を減らすことではありません。
むしろ、日本語コミュニケーション能力を育成できる教育機関を適切に評価し、質の高い日本語教育を普及させることにあります。
文科省と入管の役割
一方で、日本語学校が文部科学省の認定を受けたとしても、それだけで留学生を受け入れられるわけではありません。
留学生の在留資格を許可するのは出入国在留管理庁(入管)です。
そのため、
- 文部科学省は教育の質を審査する
- 入管は在留管理の適正性を審査する
という二重のチェック体制になっています。
教育内容が優れていても在留管理に問題があれば留学生の受入れは難しくなりますし、逆に在留管理が適切でも教育の質が低ければ認定を受けることは困難になります。
まとめ
現在進められている日本語学校改革は、単なる規制強化ではありません。
長年続いてきた日本語学校の適正化政策の総仕上げとして、「在留管理」と「教育の質」の両方を高い水準で求める方向へ進んでいます。
そして、その中心にあるのは、日本語の知識量ではなく、日本社会で実際にコミュニケーションできる外国人を育成するという考え方です。
今後の日本語教育に求められるのは、試験対策中心の教育から、実際に「日本語で何ができるか」を重視する教育への転換であると言えるでしょう。
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