前回の動画では『多様性』についてお話しました。
そこで今回は、なぜ大学入試で『多様性』が求められるのか、少しお話したいと思います。

まず、なぜ多様性が必要なのでしょうか?
それは、多様性を持つことによって、新しいアイディアや知識が生まれ、その集団全体が発展するからです。また、多様な背景を持つ人々が集まることで、創造性や生産性が高まり、異なる視点やアプローチが生まれることで、問題解決やイノベーションが促進されるからです。
だから、『学力の3要素』のひとつとして掲げられたのです。

まぁ、普通に考えて下さい。同じような経験、スキル、考え方の人たちが集まって何かを考えたりしたら偏ってしまうのは想像できますし、また、似たような人しか集まらない状況では、自分たちの間違いに気づけず、正しい判断が出来なくなることくらいわかります。
こんなことは、勉強しなくても、誰でも何となく感じたり思ったりすることですが、社会心理学者のアーヴィング・ジャニスが提唱した『集団浅慮』の概念を知れば、多様性のない集団がどうなってしまうのか、分かるでしょう。


集団浅慮ー政策決定と大失敗の心理学的研究
アーヴィング・L・ジャニス
新曜社
2022-05-20




『集団浅慮』とは、
その集団で合意形成をすることによって、かえって不合理な結論や行動を引き出してしまう状況
のことを表します。
また『集団思考』とか、カタカナ語では『グループシンク』なんて呼ばれます。
この状況に陥った場合、どのような集団となってしまうのでしょうか。その8つの症例をご紹介します。

まず、集団浅慮に陥った集団は、

①自分たちの集団に対し過大評価をする
 何の根拠もないにもかかわらず、これまでの経験にあぐらをかき、将来のことについてきちんと分析・熟考することなしに「自分たちは失敗するわけがない」と過大評価をするようになってしまいます。何の根拠もない自信を持つことは、青春時代の若者の特権だと思っていますが、大学や企業がこうなってしまっては、もうお終いでしょう。

②過度な楽観主義、『自分たちは正しい』と思い込み、道徳や倫理を無視する
 自分たちの権力や影響力の大きさに酔いしれ、「自分たちは絶対的に正しく自分たちを批判する者たちは間違っている」と思い込んでしまうと、道徳や倫理を無視するだけではなく人々を虐げ、抑圧する破壊的な行動を取るようになってしまいます。

③外部の集団の弱点を過大評価し、能力を過小評価する
 自分たちの集団が絶対的に正しく至上の存在であると勘違いすると、外部集団を見下して過小評価を行い、外部集団の提案やそれが提唱する自分たちとは異なる価値観や意見を全く受け入れようとしなくなります。

④外部からの意見や警告を無視する
 明らかに間違った方向へと突き進んでしまい、それによって外部から強い批判を向けられるようになったとしても、自らの集団の過ちを認めることは決してなく、それを黙殺しようとします。これが原因で事件を起こす企業の話が、時々、ニュースで騒がれたりしますよね。

⑤都合の悪い情報を遮断する
 自分達の正しさを盲目的に信じていると、他人からの忠告や自分達に対する悪い評価など、不都合な情報を無視し始めてしまいます。自分達にとって都合の良い、ものの見方しか、していなければ、当然間違いや問題点には気付けません。そのせいで、誤った判断を下しやすくなってしまうのです。

⑥集団の決定に異論を唱えるメンバーに圧力がかかる
 集団浅慮に陥ってしまうと、適切な批判や異議申し立ての余地が一切排除され、同調圧力によって間接的に異議を封殺するか、あるいは異議を申立てしようとするメンバーに対して抑圧や排除を行うようになります。

⑦疑問を持たないように自己抑制を行う
 自分たちグループが間違っていることをしていると内心は気づいていたとしても、それを疑問視したり批判的に検討せずに逃げてしまうようになります。

⑧全員の意見が一致していると思う
 最初から「自分たちグループのメンバーは完全に意見が一致している」という大前提に立ってしまっているため、メンバーの異なる意見に耳を傾けようともせず、多様性も認めません。

 以上、このような状況に陥った集団では、発展とか進歩、また、新しい研究、新しい創造など出来ないことは分かるでしょう。革新的な価値を創造する、いわゆる、イノベーションなども起こりえません。日本の国際競争力は、どんどん下がる一方です。それで大学は多様性を求められているのです。
 また、大学だけでなく、企業を始め、様々な集団でこの多様性の推進が進められています。実際に多様性を進める企業が社会から評価されるようになっています。


 では、『多様性』を進めるためにはどんなことが必要でしょうか?
 ここで出てくるのが『学力の3要素』の中の『協働性』です。
 『協働性』とは、複数人の集団内で理解や指示を得て、お互いに協力して課題に取り組む能力のことを言います。自分の価値観を他人に押し付けるのではなく、皆が尊重し合い、公平な姿勢をとる、批判的な意見を言い、それに対し、その場の気分や感情で話をするのではなく、論理的な思考を行い、判断し、話を進める、そして、ゴールを定めお互い協力し合って課題を進めていく、これが『協働性』です。
 自分の利益だけを求めるのではなく、集団のひとりひとりの能力を発揮させることが、全体としての成功につながるのです。

 似た言葉に『協調性』というのがあります。これは『協働性』とは違い、周りの人とうまく調和するために意見を合わせる事を意味しています。これまでの教育では『協調性』ばかりが強調され、「人はいつか分かり合える。みんな同じ人間!心は1つ」こんなことを言いながら、経験を共有し、何もかも分かち合おう、こんな教育がなされてきました。『違う』という異質な存在を排除することばかり優先されたのです。
 しかし、このような環境では、自分の都合で相手を縛ることになり、また、自分も相手に合わせなければなりません。もともと他者のことを理解するなど、到底、不可能なのに、無理やり理解することを強要されるのです。
 私は納豆が好きですが、納豆に砂糖を入れる人の気持ちは理解できません。けど、それで良いのです。知ることが大切で、無理に自分も砂糖入りの納豆を食べる必要などないのです、って、これは好みの問題ですが、様々な問題を、さも個人の好みのように扱ってはならないのです。
 お互い尊重し合う姿勢が大切です。
 もちろん、場面によっては『協調性』も必要となります。冠婚葬祭なんて良い例です。外国人の方は驚かれるようですが、日本のお葬式に白いネクタイをしてくと、中へ入れてもらえません。この場合、『多様性だ!』とか以前の問題で、そんな違いも知って、日本の習慣に合わせるようにしましょう。
 理解する必要などありません。理解なんて出来ませんから。知ることが大切なのです。

 日本と言う外国に来た留学生にとって、まだまだ日本について知らないことがたくさんあると思います。また、日本人がどんな人たちかも知らないことが多いと思います。逆に日本の人たちも外国人について良く知りません。だから、お互い近づきがたい存在であると感じてしまうのです。

 ともだちになろうよ!

 お互い、知ることから始めましょう。
 けど。忘れないでください。知るためには、まずは自分と相手は違うと考えましょう。そして、お互いに違いを認め合う姿勢で接しましょう。互いに個性が違うからこそ、それが組み合わさることで面白いことが創造できる、それと同時に自分自身を発見することにもつながります。
だからこその多様性で、その資質を、日本の大学は外国人留学生に求めているのです。




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