ミミーが小学生だった頃、コロコロコミックやコミックボンボンと言った漫画が流行っていました。それで、友達同士、集まって漫画を描いて見せ合っていました。
 私と3人だったと覚えています。
 1人の名前は思い出せるのですが、もう1人は思い出せません。
 歳ですね(苦笑)。
 で、その漫画を描いて見せ合おうってんで、友達の家に集まって、描けたところまで見せ合うのですが、私が描いた漫画がめっちゃすごい(当時大阪に住んでました)!ってことになって、クラス中で読みまわされました。
「すごい!」
「面白い!」
「感動した!」
 絶賛の嵐でした。
 もともと絵を描くのが好きで、それなりに画力があり、まず何が描いてあるか分かる(笑)漫画でした。特に登場人物。同じ顔を描くのって難しいんです。けど、画力があればそんなことたやすいこと。若き日の手塚治虫はフリーハンドで『真円』を描けたと言いますが、それは無理でした(笑)。
 けど、みんな、それらに感動してくれたんだと思います。

 今思えば、それがすべての始まりでした。

 中学生になると、やはりマンガを描きました。
 始めは休み時間暇で、美術のクロッキー帳に描いたのがみんなの目に留まりました。
 マンガの登場人物はすべてクラスメイト。
 なもんだから、誰がどんな役で出てくるか、興味津々で読んでくれました。
 続きは未だか!?
 なんて、不良連中にすら言われました。
 面白かったのは、不良を正義の味方にすると不良から怒られるんですね(笑)。
 俺を悪の大魔王にしろ!みたいに。
 で、さらに、滅茶苦茶にやられていいから、と悪が滅ぼされるのを喜んでるんです。
 その不良とはマブダチでしたので、望み通りにしたら、これまたクラスで大うけ!

 けど、ある時、授業中、他のクラスでこっそり読んでいた奴が取っ捕まり、私のマンガが没収され担任のもとへと行きました。
 職員室へ呼び出される前、没収されたK藤から事情を聞きました。
 めちゃめちゃ怒られる…。
 そう覚悟して、担任のもとへ行くと怒られませんでした。
 まぁ、よくよく考えると授業中に読んでた加Tが悪いのですから。
 叱るどころか、私のマンガを褒めてくれました。
 それで思い切りマンガを描こうと思いました。

 卒業後の進路。
 マンガ家になるという意欲は非常に弱く、パイロットになりたいと思っていました。
 将来の針路の件で親とも喧嘩になりましたが、しぶしぶ高校へ進学。
 しぶしぶ進学した高校でしたから、つまらない。
 とりあえず漫画研究部に入部しました。
 …が、
 ご想像のとおり。
 私の苦手な、一種独特の雰囲気でした。

 中学時代は個人で好き勝手に書いていたので、マンガ仲間はいません。
 高校に入って初めてマンガ仲間、というのが出来上がり、その人たちは一種独特の雰囲気で、不良連中とも仲良くして来た私としてはその雰囲気に続ける勇気もなく、こんな組織に入って描きたいんじゃない(勉強にはなるでしょうが)!ひとりで自由に描きたいんだ!と、すぐに退部しました。

 ちょっと無理でした。
 マンガ、アニメ、(今では)ゲームといった、その道の皆さんたちの雰囲気には…。

 そんな時、私の2つ後ろに座っていたゴルゴ13に似ている映画馬鹿の友達が声をかけてきました。
 映画を撮ろうぜ!!
 なんでも、映画研究部の部員が先輩たちが引退して1人しかいない、このままでは映画研究部の予算が浮いてしまう。それを頂いて撮ろう!
 こんな話になりました。
 すぐに飛びつきました。

 と言うのも、前述の中学時代の担任の先生、私のマンガを褒めてくれたのですが、特に良いと言ってくださったのは、カメラワークでした。まるで映画を見ているようにストーリーが続いていく、オマエ、マンガより映画の方が向いてるんじゃないか?当時、こんなアドバイスも受けていたのです。
 で、その担任の先生、学生時代、押井守という人と映画を撮っていたんだそうです。
 今聞けば、押井守がどんな人か分かりますが、当時は誰だかさっぱりでした(笑)。

 そう。
 ここで気がついたんです。
 自分を表現する媒体は、何もマンガだけでなく映画でもいいんだ!と。
 そして、私が求めているのは、人を感動させることなんだと。
 感動して喜んでいる姿を見るのが好きなんだと。

 でもって、高校時代は映画撮影に燃えました!
 そこで(素人)映画撮影のスキルを身につけました。

 高校卒業後、新聞奨学生として浪人して、そこで予備校のカリスマ先生の授業を受けました。
 そこでもまた衝撃でした。
 カリスマ先生って、授業を通じて自己表現をしてるんです!
 だから、授業は芸術活動だと感じました。
思いました。
 それで、大学在学中から学習塾の先生をはじめ、何とか生徒たちの心に響く授業をしようと努力しました。
 そんな中、映画関係の仕事に就くチャンスがやってきました。
 それで、映画もどうしても諦めきれず、チャレンジしたい、と塾を退職し、円谷プロダクションに入りました。美術部です。要は怪獣がぶっ壊すビルの作製でした。

 けど…、ご存じの方もいらっしゃるかと思うのですが、経済的にやって行けないんですね、こういう業界って。当たれば億万長者ですが、それが大変。


 それでまた塾に戻り、いろいろな職業を転々と。
 その過程で悟りました。
 自分にとっての自己表現は、学習塾、予備校、日本語学校での授業なんだってことです。

 学習塾にはマニュアルがあって、その通りにやれば誰でも授業が出来るようになっています。だから、大学生アルバイトでも通用するんです。これはある種のデザインです。デザインとは、誰にでも出来るマニュアル作りのようなもので、質の均一化を目標としています。けど、そのマニュアルを逸脱することが許される先生ってのがいて、それが実力派と言われるカリスマ先生の類です。その先生の名前だけで集客が出来る、なんてのはご存じの方も大勢いらっしゃるでしょう。

 では、日本語教育では?
 著書をたくさん出された先生のお名前程度は存じていますが、その先生の名前で集客できるという方とはお会いしたことがありません。まぁ、日本語教育だから、と言ってしまえばそれまでですが。
 しかし、デザインに頼らずアート、自己表現を目指していらっしゃる先生にはお会いしたことがあります。
 ミミーとしては、自己表現でありたいと思っています。


 さて、ここまでお読みになった方ならお分かりでしょう。
 ミミーは日本語初級の授業を絵カード無しで出来るんです(爆笑)!
 ホワイトボードとペン、黒板とチョークがあれば出来ちゃうんです。
 最新機器なんぞ必要としません。これはマンガスキルからです。

 けど、最新機器にもめちゃめちゃ関心があります。
 これは映画時代のスキルです。
 凝ったパワポを見て、皆さん、感動してくださったり、製作にどれくらい時間がかかったかとか聞かれるのですが、大したことないんです。まぁ、そこで大したことない、なんて言ってしまうと『嫌な奴だな』なんて思われちゃうんで苦労した旨、嘘をつきますが(苦笑)。

 類型化。
 これまでの学校の実績がポイントとなるんでしょうが、教育の質ってのは実績だけでは測れないと思うんですね。けど、実績を評価の基準としないと、ダメな先生までその恩恵を受けてしまいます。

 難しい所ですね。

 とりあえず、ミミーはコツコツと新しい創作を続けています。


 他愛もない自伝でした(笑)。

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master mimi